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| 最強のヒロイン エアグルーヴ |
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| 序 | |||
| 昭和46年のトウメイ以来、史上2頭目の牝馬の年度代表馬。 近年は、牡馬さえも敬遠しがちな秋の王道を堂々と戦い切って得た日本一のタイトル。 しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。 数々の苦難と挫折。まさに自分との闘い。 それに耐え、克服したとき頂点への道は一本につながった。 母はオークス馬ダイナカール。 樫の女王から生まれた、正真正銘の「女王」だった。 |
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| 平成11年1月9日 エアグルーヴの引退式が行われる日の前日に記す。 |
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| 母仔の誓い | |||
| 昭和58年、オークス。 このレースは歴史に残る一戦として、今なお語り継がれている。1着から5着まで横一線の写真判定。ハナ、アタマ、ハナ、アタマという差で並んでいた。5頭のうちどの馬が勝ってもおかしくなかった。 この混戦を制したのはダイナカール。 関係者の期待を一身に集め、早めに競走生活を引退し、繁殖生活に入り、その二世に大きな期待がかかっていた。毎年、錚々たる種牡馬と種付けされ産駒を送り出したが、なかなか活躍馬が出てこなかった。 そして、あのオークスの記憶は人々の心の中から薄れていった・・・ |
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| 平成7年10月29日、東京の3歳オープン戦・いちょうステークス。地味な顔触れの中、あのダイナカールの仔が出走していた。 その牝馬の名はエアグルーヴ。 ゴール前、前の馬群が塞がるという致命的な不利を受けながら、態勢を立て直すや平然と牡馬たちを一蹴して、1馬身差の完勝。馬群にひるまないこの勝負強さは、まさしく母譲りのものだった。 「私が手掛けてきた牝馬でも一番といえる器であります」 シャダイカグラ、マックスビューティーなどの名牝を育てた伊藤雄二調教師は、すでにこの馬の底知れない能力に惚れ込んでいた。 12月、あの未曾有の阪神大震災から11カ月、壊滅的な被害を受けながら見事に復興した阪神競馬場で行われた第47回阪神3歳牝馬ステークス(GI)でエアグルーヴは、ビワハイジの2着に敗れた。しかし、翌年の4歳牝馬クラシック戦線の中心になることは間違いなかった。 明けて平成8年3月、阪神のチューリップ賞(GIII)でこの2頭は再戦することになった。さらに京成杯3歳ステークス(GII)勝ち馬アジュディケーター、シンザン記念(GIII)2着のロゼカラー等、桜花賞をめざして豪華なメンバーがそろった。 実力伯仲の混戦と思われたが、終わってみればエアグルーヴが5馬身差の圧勝。 「ボクが日本で乗った中で一番強い馬だよ。桜花賞は必ず優勝してくれると思うよ」 エアグルーヴに騎乗したオリビエ・ペリエは、こう言いながら内心は複雑な心境だったに違いない。日本で騎乗できる短期免許の期限がもうすぐ切れるため、桜花賞ではペリエは乗ることができないのだ。 世界を股にかける名騎手ペリエに太鼓判を押されたエアシャカールは、一気に4歳牝馬戦線の主役になった。桜花賞で1番人気の支持を受けながら3着に敗れた母ダイナカールの無念を晴らす日も近い・・・ ところが、桜花賞の4日前、衝撃のニュースが全国を駆け巡った。 「エアグルーヴ、熱発により桜花賞回避!」 人間でいう微熱程度の発熱だった。だが、少しでも熱が上がったら即座に馬を安静にしてやらないと、一気に熱が上がってしまう。だから調教を休み、何日も馬房の中で安静に過ごさなければならないのだ。 幸い、エアグルーヴは熱発した日の夕方に、カーと汗をかいて、熱がひき、ほどなく次の目標であるオークスに向けての調整に移ることができた。 5月26日、東京競馬場の第57回オークス(GI) エアグルーヴは、熱発で体調を崩した後の約3ヶ月ぶりの実戦ながら、圧倒的な1番人気。 道中は中団できっちり折り合うと4コーナー手前からスパート。先頭を走るノースサンデーの斜行により外に振られながらも、馬場の真ん中を堂々と突き抜けて、桜花賞馬ファイトガリバーの追撃も押さえ、1馬身半のリードを開いてゴールに飛び込んだ。 「3ヶ月のブランクも、馬の力が違います。スタッフがうまく仕上げてぐたし、まだまだ奥が深そうです」 武騎手の声も弾んでいた。 これでエアグルーヴは、母ダイナカールとの母娘オークス制覇を果たした。 このとき、伊藤はフランスの凱旋門賞挑戦という壮大なプランを考えていた。 「海外遠征の話もありますが、すべては夏を越してからです。勝算があるようなら、挑戦するつもりです」 “幻”に終わった桜花賞以上の大きな舞台が彼女の行く手に待っている。そんな気がしたオークスだった。 |
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| 試練 | |||
| この年から、JRAの番組改革により、従来の4歳牝馬の秋のGIとして施行されてきたエリザベス女王杯が古馬に開放され、それに代わって新たな4歳牝馬のGIとして秋華賞が新設された。 10月、京都競馬場の第1回秋華賞(GI) 夏を栗東で過ごしたエアグルーヴは、ぶっつけで臨んだ。今日も圧倒的1番人気だ。だが、この日のエアグルーヴはいつもとは違っていた。パドックでは目を剥き、まるで喧嘩の相手を探しているようなイライラした様子だった。そしてエアグルーヴにとって屈辱的な結果が待っていた・・・ |
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| 武豊の周りには報道陣の輪ができた。 「今日はいつになくイレ込んでしまいました。カメラのフラッシュや発馬前のスタンドからの歓声にも気を遣っていましたからね。仕上がりは良かったと思いますが・・・」 伊藤の周りにも報道陣が群がった。 「・・・パドックでね、フラッシュがね・・・、あれで終わってしまった」 無理に作った笑顔がやけに痛々しかった。 やがて、報道陣は「勝利者」に向かって動き出し、伊藤は一人取り残された。 |
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| エアグルーヴが10着に大敗したあの日から数日後、ある事実が判明した。実は競走中に右第1指骨剥離骨折を発症していたのだ。全治3ヶ月。 エアグルーヴはファンの前から姿を消した。 |
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| 復活の時 | |||
| 平成9年6月、あのエアグルーヴが8ヶ月ぶりに競馬場に帰ってきた。 阪神のマーメイドステークス(GIII) 彼女はひとまわり大きくなって帰ってきた。パドックでも苛立っている様子はない。とてもご機嫌が良いようだ。 ゆったりした流れの中、エアグルーヴは中団から少しずつ前に進出、4コーナーでは前の馬を射程圏にいれ、ゴール前できっちりと抜き去った。 格の違いか、さすがオークス馬。牝馬限定のレースでは負けられないといったところか。楽々と8ヶ月のブランクを克服した。次はいよいよ牡馬の一線級との対戦だ。そこで真価が問われる。 |
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| 8月17日、札幌競馬場は異様な雰囲気に包まれていた。 夏競馬は有力馬が休養中のため盛り上がりに欠けるものだが、この日は違っていた。今年からGIII→GIIに格上げされた札幌記念。豪華なメンバーが揃ったが、中でも目を引くのが昨年のオークス馬エアグルーヴ、一昨年の皐月賞馬ジェニュインだった。 しかしレースはエアグルーヴの独壇場となった。ゆっくりと中団を進み、直線に向いたときには先頭に立っていた。あとはもう独走だった。ジェニュインは4着に入るのが精一杯だった。 |
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| 季節は夏から秋へと変わろうとしていた。 エアグルーヴはこの秋、どういったローテーションを組むのか。人々の関心はそこに集まった。 牝馬のチャンピオンをめざすならエリザベス女王杯だ。だが、真の王者をめざすなら秋の天皇賞ということになる。いったいどちらを選ぶのか? 「天皇賞からジャパンカップ、そして有馬記念へ挑戦したい」 伊藤がエアグルーヴのローテーションについて発表したのは9月20日のことだった。 いままで多くの最強馬たちが歩んだゴールデンローテーション。一ヶ月毎に現役最強グループとの戦いが続き、多くの名馬が脱落していったサバイバルだ。あまりにも苛酷なため最近では、このローテーションを避ける馬が多い中、エアグルーヴはあえてこの道を選んだ。牝馬がどこまでこの苛酷な戦いに耐えられるのか。不安と期待が入り交じる中、秋のGIシリーズが始まった。 |
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| 現役最強馬 | |||
| 10月26日、東京競馬場の第116回天皇賞(GI) 1番人気は昨年のこのレースの覇者バブルガムフェロー。エアグルーヴは2番人気だった。 唯一の4歳馬として出走したサイレンススズカが超ハイペースの大逃げ。どんどん後続を引き離す。バブルガムフェローは終始、好位置の3番手をキープ。エアグルーヴはさら後ろの5、6番手を進む。 4コーナーから最後の直線、サイレンススズカの走りはまだ衰えない。後続との差はまだ5〜6馬身ほどある。場内は騒然となった。 ようやく2番手に上がってきたのがバブルガムフェロー。遅れてエアグルーヴもやってきた。この2頭が抜け出すと、3番手以下の後続は完全に後方に追いやられてしまった。 2頭の一騎打ち。内バブルガムフェローの岡部幸雄は左ムチ、外エアグルーヴの武豊は右ムチ。鞍上の名騎手の追い比べ。壮絶ながらも華麗な迫力のある追い比べだ。 2頭の激しいマッチレースはわずかクビ差の決着だった。 昭和55年のプリティキャスト以来17年ぶりの牝馬による秋の天皇賞制覇の瞬間であると同時に、母ダイナカールを超えた瞬間でもあった。 「まあ、強い馬は、性別に関係なく強いということ。今年はこの馬でGI戦線を賑わせますよ」(伊藤師) 「バブルガムフェローを力でねじ伏せたわけですから、エアグルーヴが現役最強馬、ということになりますね」(武豊騎手) |
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| 英国紳士VS大和撫子 | |||
| 11月23日、東京競馬場の第17回ジャパンカップ(GI) 日本で唯一の国際GI。フランスの凱旋門賞、アメリカのブリーダーズカップと並び、世界の三大芝レースと言われるまでに成長したこのレースに、我らがエアグルーヴは、日本のトップホースとして参戦した。 その他、秋の天皇賞でエアグルーヴと激戦を演じたバブルガムフェロー、日本ダービー2着馬のシルクジャスティス等、日本代表馬は8頭。 外国からの招待馬は、イギリスからピルサドスキー、モンズ、フランスからアスタラバド、ドイツからカイタノ、アイルランドからオスカーシンドラー、オーストラリアからエボニーグローブの6頭。 1番人気はバブルガムフェロー。エアグルーヴは僅差の2番人気、3番人気はイギリスのピルサドスキー。 予想されたように日本代表のツクバシンフォニーがレースを先導。エアグルーヴは4番手を確保、バブルガムフェローはエアグルーヴをぴたりとマーク、ピルサドスキーは馬群の後方だ。速くも遅くもない平均ペース。淡々と進むレースに、誰もが勝負は最後の直線にあると感じた。 早めに動いたのはエアグルーヴ、直後にいたバブルガムフェローも外目を回りながら追走する。ピルサドスキーは馬群の内から進出、先行馬を射程にとらえていた。 最後の直線に入る。馬群は横に大きく広がった。横一線の中、抜け出したのはエアグルーヴ。力強い脚取りでエアグルーヴは先頭に立った。ほんの一ヶ月前に激戦を演じた牝馬が世界の舞台で先頭に立っている。ファンは歓喜した。 だが、それは一瞬だった。馬群をこじ開けるようにピルサドスキーが抜け出し、エアグルーヴに並び、抜き去った。そのクビを目一杯前方に投げ出し、ゴールに向かうその姿は、勝つことへの強い執念、自己への高いプライド、それはまさに英国紳士そのものであった。 ゴールまで残り100m。完全にピルサドスキーが先頭に立った。誰もがピルサドスキーの勝利を確信した。しかし、外から必死に追撃する馬がいた。 エアグルーヴだ! 彼女はまだ諦めていない。一度は離されたものの、日本のトップホースとしてこのまま引き下がるわけにはいかなかった。だんだんとピルサドスキーとの差が無くなっていく。壮絶な叩き合い。しかし、ゴールはすぐそこに迫っていた・・・ 勝ったピルサドスキーはこれでGI6勝目。強い馬が強い競馬をしたということだ。 エアグルーヴはピルサドスキーにわずかクビ差の2着。負けはしたものの、その実力は世界レベルに限りなく近いのではないだろうか。そんな感じがしたレースだった。 |
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| 名競走牝馬 | |||
| 12月21日、中山競馬場の第42回有馬記念(GI) いよいよ平成9年最後の大一番の日がやってきた。今年もスターホースが勢揃い。そんな中で、エアグルーヴはファン投票一位で出走する。 1番人気は武豊騎乗の宝塚記念馬マーベラスサンデー。エアグルーヴは2番人気。3番人気はオークス・秋華賞の牝馬の二冠馬メジロドーベル。4番人気はダービー2着馬シルクジャスティス。 「ジャパンカップを好走した馬は、有馬記念は惨敗する」というジンクスがある。とくにエアグルーヴの場合、秋の天皇賞を勝ち、ジャパンカップでは世界のトップホースと激しいデットヒートを演じている。歴戦の疲れがそろそろ出てくるのでは。さらに主戦騎手の武豊はマーベラスサンデーの方を選んだ。ファンの不安は大きくなるばかりだった。 レースはカネツクロスの逃げで始まった。マーベラスサンデーは中団、オリビエ・ペリエ騎乗のエアグルーヴは好位、シルクジャスティスは後方に控えた。 速くも遅くもない平均ペースで流れ、いよいよ終盤4コーナー、カネツクロスはすでに崩れ、タイキブリザードが先頭に立った。 そして最後の直線、タイキブリザードの内から一頭の牝馬が抜け出した・・・ エアグルーヴだった。 外からマーベラスサンデーもやってきた。2頭のマッチレースかと誰もが思った時、その外からシルクジャスティスが差を詰めてきた。 3頭の競り合い。永遠に続くかのように思えたマッチレースも、ゴールの瞬間の時がやってきた。 3頭横一線のゴールだったが、勝ち馬は1頭しかいない。 勝ったのはシルクジャスティス。アタマ差でマーベラスサンデー。さらにクビ差でエアグルーヴ。 3着だった。 |
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| この年のエアグルーヴの活躍は主に秋シーズンにかぎられている。GIも1勝にすぎない。しかし、彼女は多くの感動を残した。秋の天皇賞からジャパンカップというローテーションは、馬の消耗度が激しいため、近年は目標をどちらか一本にしぼる場合も多いのだが、あえて彼女は過酷な道を選んだ。 ジャパンカップに出走したとき、驚きもしたし、嬉しくもあった。それだけでも凄いことだが、さらにイギリスのピルサドスキーに正面から勝負を挑んだのだ。そして、有馬記念でも僅差の3着。肉体的にも精神的にもタフなレースをすべて戦い抜き、過去の名馬とも見劣りしない見事な成績を残した。 彼女は最強馬でありながら、チャレンジャーでもあった。 当然の如く、この年の年度代表馬に選ばれたが、牝馬の受賞は26年ぶりの快挙だ。 翌年、平成10年は1勝しかできなかったものの、札幌記念を連覇、ジャパンカップは2年連続2着、宝塚記念ファン投票1位、有馬記念ファン投票1位と実力馬として活躍した。 生涯成績を見ても、大崩れしたのはレース中に骨折した秋華賞と、落鉄した引退レース有馬記念の2走だけ。これほどまでに成績の安定した馬はそうはいない。 偉大な牝馬も引退の時を迎えたが、彼女にはこの何年分の思いを込めてありがとうと言いたい。 そして何年か後、彼女の子供たちがターフに戻ってきたとき、若い競馬ファンたちに伝えたい。母が最強馬だった時代のことを・・・ |
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2004/03/31 |
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