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平成6年10月某日・・・
その日は月曜だった。当時の私は、
「週末のロマンは月曜から始まる」とばかり
毎週月曜には週刊競馬ブックを買って読んでいた。
その日は夜から仕事ということもあって、
夕方までは暇・・・
名古屋タワーの真下にあるベンチに座り、
パラパラっと読んでいた。
そして、ふとある記事に目がとまった。
「サンエイサンキュー死亡」
小さな記事だった。
あれほど騒がれていた馬の最後は
これほど小さな扱いなのか・・・
彼女は何のために産まれ、
何のために走ってきたのか?
そして、何のために生き続けて来たのか?
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平成3年の暮れの阪神3歳牝馬ステークス(GI)2着。
翌年、2月クイーンC(GIII)制覇。
ここで平成4年牝馬クラシック戦線の有力候補として名があがる。
しかし、ここで陣営は不可解な行動に出る。
3月8日、中山競馬場・・・第29回弥生賞(GII)
皐月賞を狙う牡馬たちの中に、彼女はいた。
「なぜ?」
なんとも納得のいかない出走・・・6着。
皐月賞候補には歯が立たない。
4月、いよいよクラシック戦線がスタート。
桜花賞(GI)に出走。
弥生賞は敗れたものの、ここでは堂々の2番人気。
しかし、ニシノフラワーの前に敗れ去った。7着だった。
5月、オークス(GI)に出走。
人気は落ちて6番人気。
最後の直線で、馬群を割って彼女は飛んでくる。
ニシノフラワーは下がり、遂にクラシック制覇か?
しかし、1着に駆け込んだのはアドラーブルだった。
栄光のゴール板まであと半馬身届かなかった。
7月、同期の牝馬たちが放牧に出されていくなか、
彼女は走り続けていた。
札幌記念(GII)快勝!
古馬をも蹴散らし、生涯最高の状態に。
8月、函館記念(GII)8着。
10月8日、サファイヤS(GIII)制覇!
最後の一冠に向けて状態は最高に見えた。
そして、このあとまたも不可解な出走が・・
10月25日、ローズS(GII)に出走。
「なぜ?」
夏も休みなく走りつづけて、本番前に
なぜそこまでレースに出なければならなかったのか?
納得がいかなかった。
それでも彼女は2着を死守した。
そして、事件は起こった・・・
11月のエリザベス女王杯(GI)の追いきり後、
主戦の田原騎手は馬が疲れきっていることに気づく。
そして、新聞記者にこう言った。
「こんな状態じゃ勝てない・・・
これで勝ったら頭を丸める」
それぐらい、馬の状態が悪いと
田原は言いたかったのだろう。
しかし、翌日の某スポーツ紙がこの発言を歪めてしまう
「田原爆弾発言! 2着以上なら坊主になる」
八百長発言・・・そんな話じゃないのに。
数あるスポーツ紙の中の一社だけがこれを取り上げた。
田原発言を直接聞いた記者ではなく、
又聞きした記者の書いた記事だった。
私は、あまりの怒りに
二度とこのスポーツ紙を買わないと決めた。
エリザベス女王杯、彼女は懸命に走ったが5着。
もう誰の目にも、馬の状態がよくないのはわかっていた。
しかし、さらに過酷な運命が彼女を待っていた。
12月、暮れの有馬記念(GI)
彼女は出走した。このままでは故障してしまう・・・
ファンの空しい叫びなど、もう聞こえない。
彼女は懸命に走った。最後の最後まで諦めずに。
メジロパーマーが勝利のゴール板に駆け込んでいた頃、
彼女は立ち止まっていた。最後の直線で。
ゴールを迎えることは出来なかった。
三本脚で立ち尽くしていた。
いつか、必ずこうなると分かっていた・・・
分かっていたのに・・・
脚を引きずりながら馬運車に乗る彼女。
競走を中止するほどの骨折が何を意味するのか・・・
競馬をするものなら、誰でも分かる結末が頭に浮かぶ。
しかし・・・
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「右とう側手根骨複骨折」
普通なら予後不良だろう。
しかし、関係者は治療をする選択をした。
新聞には連日、彼女の容態が報道されるという異例の事態。
「なぜそんなに辛い思いをさせるか?」という思いと、
「なんとか助かってほしい」という思いが入り乱れ、
複雑な心境だった。
「蹄葉炎発症」の報道で、もうダメだと思った。
骨折した脚をかばって、ほかの脚に負担がかかり、
脚が腐ってしまうという恐ろしい病気。
多くの名馬がこの病気で命を落としている。
絶体絶命だと思った。
しかし、彼女の不屈の精神力で
驚異的の回復を見せる。
5度の手術を乗り越えて、
彼女は元気を取り戻していった。
当時、元気になった彼女の写真をある雑誌で見た。
骨折した右前脚は大きく歪曲して、
見るのも辛いほどだった。
そして、、、
体力も十分に回復したと判断された彼女は
再び手術を受ける。
曲がった脚のままでは繁殖牝馬になれない。
子供を産むためには、脚が重さに耐えられないとならないから。
そのための手術だった。
手術は成功した。術後の経過は順調だった・・・しかし・・・
手術から5日後、
彼女は倒れた。そして再び起き上がることはなかった。
享年5歳。あまりにも若すぎる死だった。
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サンエイサンキューは、デビューから休むことなく走りつづけた。
そして、生きるための闘いをつづけた。
人間の都合で走らされて、人間の都合で生かされて・・・
彼女は何のために産まれ、
何のために走ってきたのか?
そして、何のために生き続けて来たのか?
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